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Tech Blog #61 インターネットを作った26文字:Section 230の生い立ちと今の立ち位置

No provider or user of an interactive computer service shall be treated as the publisher or speaker of any information provided by another information content provider.


双方向コンピュータサービスの事業者及びユーザは、他者が発した情報の発行者やスピーカーとして扱われる事は無い。


この26文字からなる文章は、現在のインターネットを形作ったとも言われる"Section 230 (通信品位法230条) " の条文です。ざっくり言うと「GoogleやFacebook、Twitter等のプラットフォーマーは、基本、そこに掲載されるコンテンツ内容に責任を負わない」 というものです。本ブログでは、このSection 230の生い立ちと、現在の立ち位置を紹介したいと思います。


Section230の条文は現在のインターネットサービスの根幹とも言えるものです。例えば、Facebookと言ったプラットフォームを介してユーザーが双方向にコミュニケーションを取る事が出来るのも、実はこのSection 230の思想が大きく貢献しています。つまり、インターネットの大きな特性の1つである双方向性であったり、インターラクティブな要素は、このSection 230が無いと成し得なかったとも言われています。


もしもこのSection 230が無かったら、例えば、Yelpに載ったネガティブなコメントへの店からのクレームに、プラットフォーマーが常に対応しなければならないので、常に訴訟リスクがついて回ります。恐らくはこのようなサービスは成立しなくなり、今のインターネットはもっと一方的なもの、TVや映画のような一方的な物となっていたでしょう。


では、このSection 230が生まれた背景・歴史的な所を、少しご紹介したいと思います。Section 230は、インターネットのイノベーションを保護するために1996年に制定されました。1996年はスティーブ・ジョブズがアップルに復帰した年でもありまして、インターネットが一般に普及し始めてまだ間もないころです。Windows95が出て、先進的な人はそれを知っている、程度のものでした。


そう言った意味でも、1996年当時にインターネットに関連する法律を作ると言う事は、規制をすると言うよりも、産声をあげたばかりのインターネットを温室で大事に育てましょう、という意味合いを持っていたようです。根本思想は繰り返しになりますが、プラットフォーム、当時はとFacebookは未だありませんので通信事業者を指しますが、「プラットフォームとコンテンツ作成者とを明確に区別することで、プラットフォーム側を守る。そしてインターネットのイノベーションを促進する。」と言うものでした。


この通信品位法、後に電気通信法にマージされるのですが、この法律の他にも米国のインターネットを育てようと言う法整備は続きます。クリントン政権が1997年に発表した電子商取引白書では、インターネットサービスの規制には手を付けない、不必要な規制を避けるべき、このようなスタンスを打ち出していました。また、1998年には「インターネット・タックス・フリーダム法」が制定され、イーコマースに対する州税の課税が3年間免除されることになりました。ちなみに、この法律は8回更新され、2015年まで延長されました。そして、その甲斐もあってか米国は情報産業を制覇し、この情報産業が現在のアメリカ経済を率いているわけです。


このSection230撤廃の話が出てきている、というのが今日のブログになります。



撤廃の動きは幾つかあるのですが、1つは前大統領のトランプさんです。このSection 230の思想はプラットフォーマーの中立性を前提に語られています。しかし、Twitter達プラットフォーマーがFact Checkをし出してから潮目が変わったように感じます。そもそも、このFact Checkはトランプさんのヘイト的・嘘デマが含まれるツイートが原因の1つではあったのですが、トランプさんはそれを受けてSection 230の撤廃検討を表明しました。


つまり『利用者のコンテンツに口を挟むなら、Section 230は取り上げるぞ、プラットフォームに乗る全てのコンテンツに責任を持て』と。


これはとても皮肉で逆説的に感じます。自らのプラットフォームの健全性に対し努力をしたが故に、現在のインターネットの基本思想の1つであるSection 230を失う可能性が生じたのです。



でも歴史的には同じような事がありました。


初めに紹介するのがエレアザル・スミスという男性のケースでして、1959年の事例です。彼はロサンゼルスで本屋を営んでいましたが、彼が店で売っている本が犯罪的な猥褻物であると、ロス市警に判断されてしまいます。でも彼は、「そんなの知りません、私は売っている本を全部読むわけじゃありませんので!!」とコンテンツについては自身は関知しないと言い張ります。結局、最高裁までもつれるのですが、このスミスさんは、コンテンツには関知していないというスタンスにより、無罪を勝ち取ります。


もう一つ事例を紹介します。1990年代初頭になると、パソコン通信使った電子百科事典が登場しました。この分野には有名な2つのプレイヤー、CompuServeとProdigyが存在していました。そして、この2社の違いが明暗を分けることとなります。CompuServeのスタンスは、第三者から自社サービスに提供されるコンテンツのモデレーションやキュレーションを殆ど行わず、コンテンツをそのまま掲載していました。一方のProdigyはファミリー・フレンドリーを目指していたので、子供にオンライン百科事典で情報を調べさせたり、チャットグループに参加させたりできるようにコンテンツをモデレーションをしていた。


数年後、この2社はコンテンツにより名誉毀損で訴えられたのですが、CompuServeは裁判に勝ち、一方のプロディジーは負けてしまいます。


つまり、実際にコンテンツを管理していたかどうかで、基準が大きく変わってしまう、と言うのが過去の事例からも読み取れるわけです。



このSection 230の面白いとことは、右も左も注目している点です。トランプさん筆頭に右寄りの人たちは「コンテンツに口挟むならSection230は無くすよ。(プラットフォーマーが言論弾圧するな)」の文脈でこのSection 230を語り、左寄りの人たちは「ヘイトなコンテンツは規制すべき。(プラットフォーマーが責任持つべき)」の文脈からSection230の改正を語っています。


Section 230は、なかなか決着が付けられない程に様々な要素が入り組んだ事柄なのですが、今年の前半に、2つの重要な裁判が結審予定です。双方とも「テロリストのコンテンツをホストおよび推奨したとしてSNSが訴えられるべきであるか、或いはセクション230によりその訴えが棄却されるべきか」というものです。


今後のインターネットの容態を占うものでもありますので、注目していきたいと思います。


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